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第5回マックス「心のホッチキス・ストーリー」
お知らせ
  • 心のホッチキス大賞
  • U-18大賞
  • マックス賞
応募作品の傾向
マックス・心のホッチキス大賞

愛知県 女性 18歳 ルイス
 毎週金曜日は、父と二人で銭湯に行く。それが私と父の習慣だった。学校から超特急で帰り、早めの夕食をとってから、 タオルを片手に車に乗る。大好きな歌を熱唱する父は、いつも楽しそうだった。
 その日の金曜日も、いつも通り銭湯に行って、湯上がりのアイスを食べながら帰り道を走っていた。 一通り歌も終わり、家に着く直前、父は何気ない口調で、出張に行くからしばらく銭湯には行けないと言った。 いつまで行くの?と聞くと、ん〜、わかんない!とタレントのものまねでごまかす父。その軽さに流され、私もオッケー!なんてものまね返しをした。
 それから父は、半年近く戻らなかった。父が出かけてから一ヶ月後に聞いた話で、その訳がわかった。 父の体は癌に侵されていた。幸い転移は見られなかったが、聞かされた当初、私はショックで学校を休んでしまった。そして、車の中での会話を思い出した。 あの時、父は私を不安にさせないために、わざと明るく振る舞っていたのだ。自分が大きな病をかかえていながら、尚、私のことを考えてくれていたと知ると、涙が止まらなかった。
 それから半年後、帰ってきた父は、前よりも大分痩せていた。涙腺を崩壊させる私の頭をなでながら、『風呂、行くか』と父はたずねた。帰って来た日は金曜日。今までで一番幸せな金曜日だった。

マックス・U-18大賞〈小学生以下の部〉

福島県 男性 11歳 Y.K
 ぼくの友だちの思い出は、てんこうしたときともどってきたときです。 ぼくは、しんさいで一回神奈川にてんこうをしました。最初はきんちょうしていたけど、教室に入ったとき、みんなが大声で喜んでくれて、すごくうれしかったし、安心しました。 福島に住んでて、ひなんしてきたのにみんながやさしくしてくれて良かったです。そして、福島にもどってきたときもみんなが喜んでくれて、安心しました。 みんなやさしくしてくれてすごくうれしかったです。もどってきたのに、いっしょに遊ぼうとさそってくれて良かったです。 ぼくは、てんこうしてみんなにやさしくしてもらったので、次だれかてんこうをしてきたらやさしくしてあげたいです。 あとは、またこの学校にもどってくる人がいたら、ぼくがやさしくしてもらったようにやさしくしてあげたいとおもったし不安なこともあるとおもうので、安心させたいと思いました。

マックス・U-18大賞〈中学生の部〉

福岡県 女性 13歳 Y.R
 私の父は、家ではまったく喋らない。別にケンカしているわけではない。でも私は、父との間にぽっかり穴が開いてしまったような気がして、ときどきに不安になる。だから、たまに
「○○したいな。」
「将来○○になりたいんだ。」
 と言ってみたりする。それでも父は、
「あぁ…うん。」
「やりたいとか、なりたいとかは、口で言うのは簡単だ。」
 とあまりいい返事が返ってこない。それに少しイラッときたり、こっちは真剣なのにと思ったりする。
 そんなある日、私は学校に行きたくなくてずっと家にいた。ソファに寝ころがっていると、仕事中の父がいきなり帰ってきた。
「どうせ怒られる。」
 そう思った。すると父は、
「どうしたんだ。」
 と私にやさしく問いかけてきた。そして
「お父さんと一緒に解決しよう。」
 そう言ってくれた。その時、私の目には涙があふれて、父がぼやけてしか見えなかった。どうしようもない自分に二時間も三時間も付き添って話しかけてくれた。 私の気持ちをうまく伝えることができなかったが、父がそれを強く受け止め、父なりに励ましてくれた。
 日頃からは読み取れない父の言動ではあったが、私にとっては、家族としての、いや、父としてのやさしさを感じた。
 日頃しゃべらない父。でも、ちゃんと私のことを考えてくれている父。そこに家族のつながりを感じた。そして私は、心から父のことが大好きだ。

マックス・U-18大賞〈高校生の部〉

宮崎県 女性 17歳 きょうこ
「父のフェイスブック」
 ある日、姉から「お父さんのフェイスブック面白いよ。」と聞き、興味本位で検索してみた。すると父の顔写真が。開いてみると仕事の話ばかりだった。 会食の時の写真や出張先で撮ったと思われる写真などが沢山投稿されていた。 遡って昔の投稿を見ていると、家族で出かけた時のことや私が趣味で作ったお菓子の写真なども沢山投稿されていることに気づいた。 写真には必ず文章も添えられていた。思わずクスッと笑ってしまうような内容から、不覚にも涙が出そうになる内容まであった。 その中で私が最も印象に残っているのは、私の大学受験の前日に投稿されたものだ。 文章の一番最後には「頑張れ。」という一言と共に私の小さい頃の写真が載せられていた。私は受験前日、父から直接「頑張れ。」とは言われなかった。 直接言わずにフェイスブックに書くのが何だか父らしい。 父のフェイスブックを見た事は気づかれたくなかったが、手が滑って友達申請のボタンを押してしまった。

マックス賞
  • 東京都  女性 10代 Y.A
  • 神奈川県 女性 20代 ピンク
  • 高知県  男性 10代 Y.Y
  • 栃木県  女性 20代 平井 久美子
  • 神奈川県 女性 40代 タマ

東京都 女性 10代 Y.A
 棚に立っているアルバムには広告の裏紙を破いて作った小さいノートが入っている。 タイトルは『クエスチョンタイム』だ。中には幼かった私の汚い字で書かれた質問と、亡くなった曽祖母の丁寧な答えが書いてある。
 年中の頃に曽祖母の家に引っ越して来て、慣れない場所で独りだった私にとって、曽祖母は唯一の遊び相手であり、私の知らない様々なことを教えてくれた。 今クエスチョンタイムの内容を読み返してみると、驚く程私の好みや価値観と似ている。好きな色は白。好きな花は小さい花。 曽祖母は私が小学校に入学する直前に亡くなった。年月が経って彼女との思い出を忘れてしまいそうな時にこれを読むと、様々な記憶が鮮明によみがえって来て安心する。
 このノートの最後のページには私が辛い時に何度も助けてくれた答えが書いてある。
 「今までで嬉しかったことは?  ーーゆりこちゃんに会えたこと。」
 何もかも上手く行かなくて心が折れそうな時にこの言葉を見ると、心が穏やかな気持ちになる。 いつか天国で再会する日まで、ずっとこのノートを大事にしていきたい。

高知県 男性 10代 Y.Y
 自分の父が働いている会社はそれほど大きくもなく、給料が良いともいえない会社だ。
 そんな会社で父は仕事を頑張っていたが、同じ時間働いてもっと稼いでいる若い人もいるのに、父は何も感じないのかなといつも疑問に思っていた。
 ある日、父に仕事の手伝いをしないかと言われ、自分の父が働いている職場を見たかったのもあり、行ってみることにした。 その時期はちょうどよさこいの地方車(じかたしゃ)を作っているらしく、自分も細かい作業を手伝いながら、父の仕事風景を見ていたが、家での様子とは全く違っていた。 人の前に立って指示をし、色々な作業を自ら進んでやり、とても輝いていたように思う。自分はその時初めて、仕事は給料で決めるものじゃない、と思った。 父が自分の仕事にやりがいを持ち、頑張っている姿はとてもかっこよく見えた。
 自分は父と同じモノづくりの道に進むので仕事にやりがいを持ち頑張りたいと思った。

神奈川県 女性 40代 タマ
 「毎朝ありがとうございました。」と、杖をついた見知らぬおばあさんからふいに声をかけられた。それは父の初七日が過ぎた頃だ。 八十代半ばと思しきおばあさんは、私が不思議そうな顔をすると「実は、」と話を始めた。父は生前、毎朝散歩を日課としていた。 ある朝、転倒したおばあさんを父が助けた縁がきっかけで、父と親しくしていたという。 お茶を一緒にすることもしばしば、一人暮らしのおばあさん宅の庭掃除に花壇の手入れ等、父が亡くなるまでの一年半程交流があったそうだ。 たまたま父の訃報を知り、不自由な体で足を運んでくれたのだった。
 人一倍照れ屋の父からは、おばあさんの話を聞いたことがなく、娘としては驚いた。と同時に父を誇りに思う。 そして見ず知らずのおばあさんにも思いがけない父からのプレゼントを贈られたようで、大変感謝している。
 私も父のように誰にでも親切にできる人でありたい。

神奈川県 女性 20代 ピンク
 母国から離れた一人っ子の私、今、日本に住んでいる。母国では母と二人で暮らしていた。父、おばさん、おじさんは別居だったから、会う機会があまりなく、会話も少なかった。 だが、日本へ留学に来てから、ほぼ毎日家族と電話をしている。一人暮らし生活のなかで、病気になったり、辛いこともあったりしたが、言わなくても向こうが分かるらしい。 この間、長野県で起きた地震はタイでもニュースになった。その時、年に2〜3回しか話さない父から電話が来た。「地震あっただろ、大丈夫かい」、「勉強がんばれ」と父が言った。 あまり長い会話ではなかったが、「父も私のことを心配してくれたんだ」と私は思いはじめた。 心細くなった時、母国で待って応援してくれた家族のことを思い出したら、また頑張れる。来年卒業し、帰国したらちゃんと父やおばさん、おじさんに連絡し、心配をさせないと決めた。 「家族がいるから頑張れる」という言葉は本当だと実感した。

栃木県 女性 20代 平井 久美子
仕事でミス。何も考えたくない、その日、私は家へと急いだ。
落ち込んでいる時は、なぜかイライラする。
タイミングの悪い信号、歩道を占拠し、大声で喋りながら歩く学生。
何もかもに苛立った。
やっとマンションに到着。エレベーターに乗り、
「閉」ボタンを押し、半分閉まりかかった頃だった。
「ごめさい」と言いながら、大きな花束を抱えた20代ぐらいの女性が乗ってきたのだ。
片言の日本語、留学生だろうか。
「次のエレベーターでいいじゃん。」心の中ではイライラが募っていたその時だった。
「1本。今日、誕生日なの。」 そう言って彼女は花束の中から、真っ赤なバラを一輪、私の目の前に差し出してくれたのだ。
驚きとまどいながらも、「ありがとうございます。お誕生日なんですね」と口にし、思わず笑顔になった。
「はい、そなのです。ありがとうござました。」
彼女はそう言って、エレベーターを降りて行った。
ほんの数秒の出来事。嬉しい気持ちと同時に、
それまでイライラし続けていた自分が恥ずかしくなった。
人は、感情が高ぶった時、まわりのことなんて考えられなくなると思う。
私のように仕事でミスをし、すごく哀しい気持ちになった時でも、彼女のように誕生日を迎え、喜びでいっぱいになった時でも。 喜怒哀楽、どんな状況でも、感情が高ぶるとまわりは見えなくなるものだ。
だが、彼女は違った。喜びでいっぱいの中でも、たまたま居合わせただけの私に目を向けてくれた。
彼女がくれた一輪のバラ。きっとこのバラが枯れても、この思い出は忘れない。
私も彼女のように、少しでも周りの人に目を向けられる、そんな人になりたい。

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