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結果発表 第11回 マックス「心のホッチキス・ストーリー」多数のご応募ありがとうございました!
マックス株式会社は、第11回 マックス「心のホッチキス・ストーリー」と題し、“あなたが今、心にホッチキスしたいこと”をテーマに、ショートストーリーを募集しました。全国から16,040件の応募があり、厳正な選考の結果、受賞作品を下記の通り決定しましたのでご報告いたします。作品テーマ:あなたが今、心にホッチキスしたいこと。募集期間:2020年10月1日(木)潤オ2020年11月30日(月) 応募総数:16,040件(Web:676件、郵送:15,364件) 応募者層:最年少6歳、最年長91歳の方と幅広い年代に渡りました。 ※入賞作品は原文のまま掲載しております。無断転載を禁じます。
  • 心のホッチキス大賞
  • U-18大賞 U-18大賞 高校生 中学生 小学生以下
  • マックス賞

応募作品の傾向

 昨年は、新型コロナウイルス感染症が流行した状況下で、学校が休校となったり、テレワークをはじめとした働き方の多様化が進むなど、新しい生活様式について考える機会が増えた一年となりました。
 応募作品からは、生活の変化に戸惑いながらも、それまで当たり前だった日常を振り返り、改めて自分の周囲の「家族」や「友人」とのつながりの大切さに気付き、心に残っていることや大切にしたいことに思いを巡らせている様子がうかがえました。

「マックス・心のホッチキス大賞」には、母親の誕生日に手作りの絵本を贈り、3年の年月が経った今でも大切にしてくれていることへの嬉しさと感動、その絵本を通じて家族の絆がより強く結ばれたエピソードを綴った作品が入賞しました。「マックス・U-18大賞」には、進路に思い悩んでいる時に父からかけられた、たった一言に勇気づけられ、親への感謝を再確認した作品など3点が、「マックス賞」には、新卒で働き始めたばかりの頃、職場での失敗に落胆していると、家族が大きな優しさで包みこんで慰め励ましてくれた思い出を綴った作品など5点が入賞しました。

 引き続き、この企画が身の回りにある大切な“思い”を心にとどめるきっかけになれば大変嬉しく思います。

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マックス・心のホッチキス大賞(1名様) 賞品:ギフト券5万円とマックス製文具セット

〈鹿児島県〉 チョコココアさん(16歳)

 冬の冷え込んだある日、母は誕生日を迎えた。私たちは五人家族だが妹と弟は県外の祖父母宅へ行っていた。私は部活で残っていたので父と私で、母の誕生日をお祝いした。
 誕生日プレゼントとして、私は母に手作りの絵本をあげた。中身は我が家のよくある風景。母と私がけんかをして仲直りするまでの物語だ。私はこの絵本の制作に約二ヶ月を費やし、家族に協力してもらって巻末には一人ひとりからのメッセージも付け加えた。
 絵本を渡す時は、やはり緊張した。どんな反応なのか、全く想像ができなかったからだ。恐る恐る母にその絵本を渡すと、母は最初驚いた顔をして、その後絵本を読み始めた。その時私は、照れ臭くなってそっぽを向いていたが、少しすると鼻をすする音がした。パっと母を見るとその顔は涙で濡れていた。驚いて何も言えなくなっている私に、「ありがとう。」と涙声で言ったのだ。それから母は大事そうにその絵本を抱えて、何度も何度も読んでいた。
 久しぶりにその絵本の話になって、「今その本どうしてるの?」と聞くと、母は本棚から絵本を取り出した。「心が荒んだ日や疲れた時にたまに読んでいるんだよ。」と言っていて、私はそのことを全く知らなかった。てっきりあれきり、本棚にしまってあるものだと思っていた。もう三年前の絵本なのに、まだ大事に持っていてくれたことが私にとってたまらなくうれしかったことなど、母は知る由もない。

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マックス・U-18大賞 高校生の部(1名様) 賞品:図書カード1万円とマックス製文具セット

〈福井県〉 ぽんさん(18歳)

 私はいつからか父と上手く話せなくなった。いつから話せなくなったかは覚えていないが、昔みたいにふざけ合ったり、一緒に笑い合ったりすることが減ってしまった。決して父が嫌いなのではない。ただの思春期だからというのは自分でも分かっている。でもこんなことは誰にも相談したくなかった。私の対応がそっけなくなっていき、父も私と話す時は少し遠慮するようになった。私はそれが辛かった。でもやはり上手く話せない。
 私の進路を決める時、母からは最初反対された。しかし、私は他の進路は考えられなかった。反対されたことに悲しんでいた時、父が私の部屋に来て「夢があるならお父さんは全力で応援するよ。」と一言だけ言って出て行った。たった一言、その言葉に私は勇気づけられ感動した。今まで最低と自分でも思ってしまう態度にも何も言わず、ただ娘の夢を応援してくれている。誰よりも私のことを考えてくれている。それが伝わり私は涙が止まらなかった。「思春期だから」なんてそんなの言い訳でしかない。こんなに大切に育ててくれた父と、もっとたくさんの思い出を作りたい。もっと話してもっと笑い合いたい。そして自分の夢を叶えて、応援してくれる父に喜んでもらいたい。そんな感謝と自分の思いを込めて私は、「お父さんありがとう。絶対に夢を叶えるね。」と言った。
「大好き」はまだ照れくさくて伝えられなかったけど、今も昔も私は父が大好きだ。

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マックス・U-18大賞 中学生の部(1名様) 賞品:図書カード1万円とマックス製文具セット

〈東京都〉 ルロイさん(15歳)

「愛子先生!」私たち孫は祖母のことをそう呼んでいる。私は姪からこの愛称を教えてもらった。というのも、祖母は昔、小学校の先生をしていたそうだ。そのせいもあって、祖母は私たちにたくさんのことを教えてくれる。
 しかし、その内容は算数や国語などではなく、人生で大切なことや、どんな人であるべきかなど。そんな祖母の教えで最も印象の強い言葉は「いっぱい愛をぬってあげんさい。」というものだ。愛をぬる?私は昔、聞いてみたことがある。「なんで愛子先生は愛をぬるって言うの?」「愛は何にでもなれてね、人の心を癒せるのさぁ。『イタイのイタイの飛んでけ』でなでるのも、あれ愛をぬってあげてんのさ。」と祖母は答えた。
 愛をぬること。ぬられること。きっと誰もが無意識にして、されている。では私はいったいどれほどの愛をぬられて、ぬってあげられているのだろうか。そんなことをふと思いながら、私たちはきっと明日も愛をぬり合う。そうでしょ?愛子先生!

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マックス・U-18大賞 小学生以下の部(1名様) 賞品:図書カード1万円とマックス製文具セット

〈佐賀県〉 K・Nさん(7歳)

「スラマッパギー。」
 私がようちえんのころインドネシア人のおともだちがようちえんにくるようになりました。その子のおかあさんは、長いぬので頭をつつんでいました。おともだちは、日本語がしゃべれませんでした。でも私は、おともだちになりたくて、日本語で「おはよう。」って言ったらえがおで手をふってくれました。私は、言葉がわからなくてもつうじたんだと思ってとてもうれしくなりました。それから、おともだちはインドネシアの言葉で、私は日本語でおはなしをしていると、だんだん言っていることがわかるようになってきて、なかよしになってきました。「スラマッパギー。」がインドネシアの言葉で「おはよう。」っていうのもおともだちにおしえてもらって、まいあさおともだちに「スラマッパギー。」とあいさつするようになりました。
 ある日おともだちのおうちにあそびにいくことになりました。いくとおともだちのおかあさんがインドネシアのおりょうりを作ってくれていました。しおラーメンのようなものの上におにくがのっていたたべもので、一口たべてみると、たべたことのないふしぎなあじでちょっとびっくりしました。おともだちはおいしそうにたべていました。私がちょっとふしぎだなぁと思うようなたべものを、インドネシアのおともだちはおいしそうにたべているってどうしてだろう。じゃあ、日本のりょうりはインドネシアの人にはふしぎなあじがするんだろうか。ほかのくにはどうなんだろう?いろいろかんがえているとたのしくなってきました。
「スラマッパギー。」ははじめてのがいこくのおともだちとなかよくなれたまほうの言葉です。

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マックス賞(5名様) 賞品:図書カード5千円とマックス製文具セット
  • 〈三重県〉 なつかし屋さん(50歳)
  • 〈静岡県〉 文月さん(18歳)
  • 〈兵庫県〉 やすよさん(37歳)
  • 〈宮崎県〉 奈須千宙さん(17歳)
  • 〈静岡県〉 別所綾子さん(44歳)

〈三重県〉 なつかし屋さん(50歳)

 パート仕事を終えた夕方、スーパーへ買い物に行くと、入り口付近の思いやり駐車場が目に入る。このスペースを見るたびに私は、27年前に亡くなった母を思い出す。母は、買い物に行くと、必ず車を遠くの駐車場に停めるように言う人だった。たいてい父が運転していくのだが、入り口付近の近場に停めようとすると「あっちにしよう。3人で歩こう」と提案するのだ。小さい時は、それも楽しかったが、小学校高学年ともなると親と歩くのも気恥ずかしくなり「なんで近くの方に停めやんの?」と聞いた。母は笑って「自分たちが遠くに停めたら、誰かが近くに停められるやろ?見たこともない知らない人に幸せをあげたいの」と言った。「そんなん、誰にもありがとうって言われやんよ」と返すと、「感謝を求めない善意を『思いやり』って言うの。大切な気持ちよ」と真顔になり、私の手を取った。「それにユミと手を繋いで歩きたいし」…母の手はふんわり温かかった。
「思いやり駐車場」の意味は、きっとこういうことなのだろう。色の付いた入り口付近の駐車スペースを見るたび私は母を思い出し…もう繋げない手を、そっと握る。

〈静岡県〉 文月さん(18歳)

 私には4歳年下の妹がいます。妹とは仲もいいですが、よく喧嘩もします。そんな妹は、生まれつき心臓が弱く、今も闘病中です。
 ある冬の日、妹の一時退院が決まり私達は大喜びしました。前々から「外に出られたら星がみたいね。」と二人で話していたからです。病室には、宇宙や星座の本が何冊もある程、妹は星が大好きでした。
 しかし、約束の当日、その日はあいにくの雨でした。夕方までどしゃ降りの雨で、もし仮に夜晴れたとしても地面はぬかるんでしまうと考え、私達はあえなく中止するしかありませんでした。妹は、泣き喚き駄々をこねはじめました。駄々をこねても仕方ないと思っていた私はついカッとして「うるさい!そんなに行きたいなら、濡れてでも行ってくれば!」と言ってしまったのです。妹は「お姉ちゃんはいつでも行けるからいいじゃん!ずるいよ!」と怒鳴り返してきました。その言葉を聞いて私はガツンと頭をなぐられたような衝撃を覚えました。私は今回行けなくても次の機会に行けばいいと考えていました。しかし、妹はいつ病気が悪化して死んでしまってもおかしくないのです。私は、妹のために今出来ることはないかと考え、あることを思いつきました。
 夕方に私達はあるマンションの屋上にいました。場所が近くて、下がコンクリートなら大丈夫なのではないかと私が考えたからです。雨は予定より早く止み、頭上にはきらめく星々が見え始めました。妹は無言でしたが、私が「ひどいこと言ってごめんね。」と謝ると、妹は泣きながら「私もひどいこと言って、ごめんなさい。」と謝ってくれました。それから妹とは、いろんな話をしました。自分の夢を話すと、妹は「いいね!それ。」と笑って言ってくれました。
 私の夢は、小児科の看護師です。妹のような病気を持った子を、励まし元気にしてあげたいです。

〈兵庫県〉 やすよさん(37歳)

 朝起きて洗濯機を回す。それから浴槽を洗って、朝食と弁当の準備。7時になったら娘を起こし、洗面所へと連れて行く。トーストをかじりながら洗濯物を干し、掃除機をかける。ふと時計を見ると、8時を過ぎている。ゴミを出して食器を洗い、その後化粧をする時間もとれないまま、子どもを幼稚園へと送っていく。
 私の朝はいつもこんな調子。とにかく時間が足りないのだ。そんなある日のことだった。「時間がない!時間がない!」といつものように私が慌ただしくしていると、娘が「一緒に探してあげようか?」と顔を覗き込んできた。探す??私の頭の上に大きなハテナが浮かぶ。
「ママの時間なくしちゃったんでしょ?一緒にさがしてあげるよ!」
 真っ直ぐな瞳で私を見つめる娘。
 いつも私が時計を見ながら「もうこんな時間!」と言っていたからか、娘は“時計”と“時間”を逆に覚えているようだった。
「ママは何もなくしていないよ…」
 私が言うよりも先に、「ママの時間さん、出ておいでー。」と、洗濯かごの中やソファーの下を探し始める娘。
 娘が生まれてから、家事と育児に追われるように日々を過ごしてきた。自分のことはすべて後回し。いつでも時間と戦っている私がいた。しかし子育ては大変なことばかりではない。娘と過ごす時間は充実しており、幸福に満ち溢れている。それでも時間に追われるのは、子育てとはこうあるべきだと勝手に決めつけている私に原因があるのだろう。周りから良い母親だと思われたくて、無理して背伸びをしてきた。
 そんなことが本当に大切なこと?娘と過ごす時間の中にたくさんのきらめきがあって、その一瞬一瞬を大切にしなければならないのに…。
 私は時間ではなく、心の余裕と自信をなくしていたことに気が付いた。しかし、そんなダメな私のことを全力で愛してくれる娘がいる。だから焦ったり、他人と比べる必要なんてない。私にとって一番大切なのは、娘と過ごす時間にあるのだから。
 いつも心に潤いと笑顔を与えてくれる愛しい娘。これからは娘との時間をもっともっと大切にしたいと思う私だった。

〈宮崎県〉 奈須千宙さん(17歳)

「なぜ父は一生懸命働けるんだろう」
 私の家は代々マンゴー農家で、現在は私の父が後を継いでいる。父は、家族が寝静まっている早朝から仕事へ出かけ、ある日は真夜中に片道数百キロという時間をかけて市場へ出荷しに行く。そんな父の姿を私は幼い頃から見てきた。だが、最近は父との口数も減り、父が懸命に働ける根拠も分からないままだった。
 そんな中、コロナウイルスで学校が休校となり、私は父の手伝いをしに毎日一緒にマンゴーハウスへと向かった。ハウスの中の木の枝には、太陽のようにキラキラと輝く綺麗なマンゴーがいくつもなっている。父は一つ一つ丁寧に手入れをし、真夏のハウスの中でも懸命に仕事をしていた。そんな父の姿に私の胸は熱くなった。それから数ヶ月後、初物のマンゴーができ、父は一番に私に食べさせてくれた。父が丹精込めて作ったマンゴーの美味しさに、「やっぱり、お父さんのマンゴーは最高!!」という言葉が私の口から漏れた。その瞬間、父の顔からは笑顔が溢れる。同時に私の心も温まった。
「なるほど、これが答えだったのか」

〈静岡県〉 別所綾子さん(44歳)

 大学卒業後、小さな会社で総務の仕事をしていた時のこと。上司から弔電を打つよう言われた私は『弔電』という慣れない言葉に戸惑いつつ、あわてて定型文を探し、申し込んだ。
 葬儀から帰社した上司は、「社員の母親の弔電に『生前の偉大な功績を偲び心からご冥福をお祈り申し上げます』なんて、誰が打ったんだ!」と怒り心頭。大目玉を食らった。今ならわかる。常識はずれな弔電だったと思う。急いでいたとしても、ひとこと上司に確認すればよかった。当時の私は、わからないということがわかっていなかった。ただただ謝ることしかできず、とぼとぼと家に帰った。
 あふれ出る涙を拭いながらご飯を食べる私を見た母は驚き、どうしたのかと聞いた。絞り出すように顛末を話すと、母はまじめな顔で言った。「こどもを立派に育てた。それだけで十分偉大な功績じゃないの!」と。「そうやって失敗して覚えていくのが仕事」と言う母が、とても大きく見えた。

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